デモシーナー、Navisさん(ASD)にインタビュー

 
まさかの10回目を迎えた「デモシーナーにインタビュー」のコーナーです。
 
何しろこんなに続いたことに本人がいちばんビックリしていますが、これもひとえに、インタビューに快く応じてくださったデモシーナーの皆さんと、ブログをチェックしてくださる読者の皆さまのおかげです(うるうる)。どうもありがとうございます!
 
さて、10回目のゲストには、デモシーン内外で有名かつ非常に人気の高いグループ、Andromeda Software Development(アンドロメダ・ソフトウェア・デベロップメント)、通称「ASD」のコーダー、Navis(ナビス)さんことKostas Pataridis(コスタス・パタリディス)さんをお迎えしました。ASDの美しい作品はデモシーンの代名詞として使われるだけでなく、「デモはアートなのか?」といった見出しのつく記事には必ずその具体例として登場しています。彼らの作品がアートなのかどうなのか、、それはご自身の目でご確認ください。見れば分かる、、すぐに分かる、、、(笑)
 
インタビューでは、Navisさんの頭の中にあるもの、マイルストーン的なデモの制作裏話、「コードに手を突っ込む」という製作方法までたっぷり語っていただきました。(そして、最近の「あのビデオ」についてもコメントをいただいています!)
 
過去最長のテキストになってます!仕事や授業の合間、喫茶店、お布団の中、、どうぞゆったりとした時間の中でお楽しみください!
 
 
——————————————————————–
 
まずはデモシーンでどんなことをされているのか教えていただけますか?
 

 

Photo provided by Navis

 

大抵は他の人たちが作ったものを見ているだけなんですが、時々はASDAndromeda Software Development)という自分たちのグループで作品を作っています。冬は構想期間に当てて、春夏に実際の制作作業をしています。僕はコードと、たまにグラフィックスを担当していて、それ以外はASDの他の仲間がやっています。1992年からずっと同じスタイルでやってるんですよ!


すごい
…20年以上も前から続けてらっしゃるんですね!ということは、コンピュータを使い始めたのはそれより前ということになりますね。

最初にコンピュータと出会ったのは、僕が6歳の1984年のことですね。Commodore64に、カラーモニタとディスクドライブでした。当時、ギリシャではとても高価なものだったんです。

初めて使った時のことを覚えていますか?
 
出会ってすぐに夢中になりました。これを使ってグラフィックスをやってみたいと即座に思ったんです。つまり、「What is your name? Hello Kostas」っていうプログラムを書くんじゃなくて、ラインや色を使ったことがやりたいと思いました。ただ、これをするには当時「言語」という大きな壁があったんです。コンピュータは英語を話す人たちに向けて作られていましたが、僕はその当時英語を話せなかったので。言語のルーツは似たようなものだとしても、アルファベットとギリシャ文字は別物ですから。
 
 
では、どうやってその壁を乗り越えたのですか?
 
発音から入りました。同じ文字を使うことも多いのですが、文字は同じでも発音が違っていることが多いんです。例えば、英語の「v」はギリシャ語では「n」という発音で、「h」は「ee」という音になります。それで、コンピュータに出会った数年後に学校で英語を勉強し始めました。これはギリシャでは一般的なことですね。プログラミングに関する本を読めるようになったのはその後です。
 
 
きっと学校では優等生だったのでしょうね…。

 

そうでもなかったです。成績は悪くなかったし、概して良い生徒だったとは思いますが、上から510%ぐらいですかね。僕はギリシャの学校では評価してもらえないことが特技だったんです。そういう人は結構多いんじゃないかな。プログラミングやエンジニアリングは学校ではあまりやらないから。
 
 
あら、ではギリシャの学校で優等生になるには何を勉強すればいいのでしょう?やっぱり哲学ですか?
 
哲学もかなり勉強させられましたね。あとは言語や数学、物理です。総じて言えば、学校でも良くやっていたと思いますよ(18歳までは)。ただ、学校のシステムが良くなかったんです。何かを想像することよりも、学ぶことばかりに重点を置いていた。僕が得意としていたのは、その「想像すること」だったので、発揮する機会はなかったんです。それとギリシャには「他を凌げ」という昔からの格言というかモットーがあるんです。「他を凌げ」って、嫌な言葉だな。僕は大嫌いな考え方ですね。
 
 
でも、時々あなたは他を凌いでらっしゃるように見えますが
 
僕は競争心が激しいほうではないんです。それに、他を出し抜いてやろうっていう考え方は好きじゃありません。もし他の人に勝ることがあるとすれば、たまたまそうなっただけか、そこでうまくやれた理由があるからだと思います。でも、人生ははっきりと勝ち負けが決まるゼロサムゲームではありませんから。
 
 
なるほど。では、学校以外の場所で絵を書いたり、ものを作ったりしていたのですか?
 
僕は音楽に興味があったんです。普通の学校よりも、音楽学校で楽器や理論を学ぶ時間のほうが多かったですね。ピアノやフレンチホルン、トランペット、ユーフォニアムなんかの金管楽器を弾いていました。大学では音楽を専攻したいとずっと思っていたのですが、(幸いにも)そちらの方面には進みませんでした。それから、家ではコンピュータを使ってグラフィックスのプログラミングをしたり、水泳で大会にも出ていましたね。ギークじゃなかったんですよ。
 
 
たしかに、「ギーク」という言葉から連想する少年時代とは違っているように思います(笑) では、デモシーンとはどのようにして出会ったのでしょう?
 
C64でグラフィックスをやっていて次にPCに移ったのですが、自分でプログラムを書くだけで、世界で起きていることはほとんど知りませんでした。国際的なデモシーンの存在を知ったのは、モデムを手に入れた1992年、フィンランドのBBSを通じてです。
 
それで、同じ1992年にグループを結成しました。デモが何であるか、そのルールが何なのかもよく分かっていないのに、「ソフトウェアやデモを作ろう」と思ってグループを結成したんです。デモグループらしくない変な名前なのはそのせいです。

 
demo5』というのがASDで最初に作った作品ですか?
 
そうですね。ただ、同じ時期に別の作品も作っていたのですが失くしてしまったので、これが最初の作品であったかどうかは僕にも分かりません。ファイルはもう残っていないので、僕の記憶の中にしかないものもあります。
 
 
結成当初の作品は、デモパーティーで公開していなかったのですね。
 
これはパーティーで公開はしてないですね。199293年といえば僕は14歳で、まだ世界との接点はありませんでした。というか、ちょうど最初のモデムを使って接点を持ち始めていた頃です。それに、まだ当時はインターネットの時代ではなかったので、メールを送信するのにも1日かかっていたんですよ。
 
でも、1994年だったと思いますが、突然ギリシャの人からデモパーティーが開催されるという連絡をもらったんです。それで1995年に初めてデモパーティーに行きました。これがギリシャ初のデモパーティーでしたね。僕たちは『Counterfactual』という作品を作って参加しました。楽しかったですね。バスと電車を乗り継いで、丸一日かけて800キロ以上の距離を移動したんです。10代の少年にとってはすごい経験でした。
 
翌年の1996年にも同じパーティーに参加したんですが、その後は留学のためにギリシャを離れることになったので、4年間はデモを作りませんでした。
 
 
パーティーで公開する目的で作った場合と、そうではない場合で制作に何か違いがありますか?
 
初めてパーティーに参加した時からずっと観客がいることを想定して作っているので、それ以前のことはよく覚えていませんね。でも、観客がいたほうがいいんです。期待感があるほうがいい。よく言うじゃないですか、「見る者がいない絵画に価値はあるのか」って。
 
 
「見ている人を驚かせたい」というのがモチベーションですか?
 
そうですね。驚きの要素、苦労したことが報われること、そしてリリース後のディスカッションがモチベーションと言えますね。それから、デモパーティーでリリースする前の制作プロセスもそうです。うまくいけば楽しいですよ。うまくいかない時は悪夢だけど
 
 
以前に、制作中の様子をブログで公開してらっしゃいましたね。その「悪夢」の部分も
 
よくあることです。良い作品を作りたいからこそ起きるんですけどね。良い作品っていうのはすごく難しいですから。
 
 
では、話を少し戻します。ギリシャのパーティーに参加された後はASDの活動をお休みしていたとのことですが、この間もデモシーンのことは頭にあったのですか?
 
頭にありましたね。自分で作っていなくても、AssemblyThe GatheringThe Partyでリリースされた作品は常にチェックしていました。でも、ティーンエイジャーとして、パーティーや社交スキルを磨くことにも興味がありました。学校ではコンピュータではなくエンジニアリングを学んでいたんですが、この時代は今ほどプログラミングはしていなかったです。まぁ、コンピュータ専攻の学生よりはやっていたと思いますけど。
 
 
なるほど。そして4年後の2001年に、『cadence and cascade』で優勝というかたちで復帰を果たしていますね。なぜデモシーンに戻ろうと思ったのですか?
 
このパーティーはかなり小規模のギリシャのパーティーだったので、ここで優勝したということが意味を持つとは思いませんけど、たしかにこの作品で復帰しましたね。修士ではコンピュータ・グラフィックスをやっていたし、OpenGLも学んだし、C++も上達したから、じゃあやってみようという感じでした。それと、aMUSiCと知り合いになったこともあって、「今度は国外で勝負してみようか」という流れになったんです。

 
aMUSiCさんはASDの音楽を担当されている方の1人ですよね。どのように知り合ったのですか?
 
 
1996年には出会っているんですが、その時はお互いのことをよく知らなくて2001年のcadence and cascadeを出したパーティーできちんと知り合いになりました。それでパーティーが終わった後に、彼がミュージシャンとしてASDに参加することになったんです。その翌年の2002年に出したデモ『Edge of Forever』 [video]からは、ずっとaMUSiCが音楽を担当しています。あれは僕の人生の中でもベストな決断の1つだったと思いますね。
 
 
たしか、ASDの場合、プログラミングが終わって映像が完成してから音楽をつけると聞きましたが…。
 
そうです。またはプログラミングと同時です。でも、音楽がコードより先に完成することはないです。
 
 
では、典型的なASDの制作プロセスを教えていただけますか?
 
かなりシンプルですよ。まず僕がエフェクトをいくつか作って、次にシーンを作っていきます。そうすると数週間以内には、他のエフェクト、モデル、2Dのプレースホルダーをつけた状態でデモが半分ぐらい完成するんです。その段階で他のメンバーと話し合います。この後、aMUSiCがどこかの時点で音楽を送ってくれるので、受け取ったら自動操縦モードみたいなものですね。
 
 
音楽は、「このデモはロックな感じで」、と頼むのですか?
 
いや、そういうことはないです。彼が好きなようにやってくれればいいので。
 
 
デモの映像を見て決めてもらうのですか?
 
 
そうです。半分以上はできあがった状態で渡しているので、それを見ればデモがどんな感じのものなのかは理解できますから。あとは彼がどう感じるかですね。明るい雰囲気なのか、それとも暗い雰囲気にしたいのか。僕たちのグループは時々今までとはまったく違ったタイプのデモを作るんですが、見ている人はそれが好きなんじゃないかな。もちろん似たようなリソースだったり、ASDっぽさはあると思うけど、エフェクトも音楽のスタイルもがらっと変えていますから。
 
 
でも、音楽を半分できた段階でつけるとなると、どうやって「デモのリズム」みたいなものをキープしているのでしょう?いつも音楽とぴたりとシンクしているように思うのですが。
 
自分でもよく分かりませんが、最終的には音楽とシンクするようになるんです。シンクさせるのが難しい場合もありますけど、「デモのテンポを遅くする」といったトリックはあるんです。あとはaMUSiCが非常に賢い作曲をしているので、1020%は伸ばせるようになっているんです。毎回やり方は違いますが、いつも必ずフィットさせる方法はあります。
 
 
面白いですね。では、Navisさん自身はどうですか?デモを作るときにテーマや雰囲気を決めたり、アイデアをメモ帳に書き留めてから始めますか?
 
本当に漠然としたストーリーラインだけはありますが、メモはまったく取っていませんね。漠然としたストーリーと、デモを組み立てる時に必要な2030%の要素だけを考えてから始めています。こういう「のり」やアバターの部分が絶対に必要なんです。これがないと、ただの立方体が出てくるだけのデモになってしまいます。
 
でも、最初にデモをどこで発表するのかを決めておく必要がありますね。小さめのパーティーなのか、それとも大規模なパーティーで出すのか。作業の流れにガイドラインは何もありませんし、空いた時間があれば作るといった状態なので、かなり雑然とした作業ではあります。
 
 
あなたのデモには、想像上の生き物がたくさん出てきますが、これはあなたの頭の中に棲んでいる生き物ですか?どこからデモのインスピレーションを得ているのでしょう?
 
自分の頭の中にあるもの以外を参考にして作ることはほとんどないですね。むしろ、あえて他の人がやっていることを参考にしないようにしています。自分の中にあるものを使ったり、あとは「形式は機能に従う」というやり方で作ります。リソースはとても限られているんですよ。メッシュ、オブジェクト、グラフィックス、それとある程度まではプロシージャルグラフィックスもそうですね。だから、使えるものをミックスして使う。インスピレーションを得た場所は作品によっても違うので、これと決まったものはありません。

あなたの頭の中はけっこう混み合っていそうですね(笑)
 
そうかもしれませんね。でも他の皆さんほどではないと思いますよ。大丈夫なんです。数年もやってれば皿洗いと同じようなもので、数字を使ってプログラミングすることが習慣になりますから。
 
 
習慣ですか…。

リリースしたそれぞれの作品の裏には、画面には映らない膨大な作業や、「色が良くない」といった理由でゴミ箱行きになったデモがいくつもあるんです。僕の場合、通称「ビックデモ」と呼ばれる大作を作る時は、もっと良いアイデアが浮かんでくるまで最高のパーツは使わずに取っておきますね。
 
 
私だったら、そのゴミ箱の中から拾って見てみたい気もしますけど(笑)
 
バックアップは取ってないって話はしましたっけ?気が変わって途中でやめたものはバックアップを取らないので、手元には残っていないんです。

 
もったいない、、(笑) では、ASDの歴史に話を戻しますね。aMUSiCさんが加入して、今度は世界の舞台に挑戦しようと決意されたんですよね。そして、その決意通り、2003年にはAssemblyデビューを果たしています。
 
Photo provided by Navis
 

Assembly
には、デモシーンの友達何人かと行きました。この写真はその時に撮ったものですね。真ん中が僕で、黒いTシャツを着ているのがギリシャのデモパーティーをオーガナイズしていた人です。この時は『Dreamchild』というデモを持っていって、かなりいいところまでいったんです。行けてすごく嬉しかったですね。これが僕にとって初めて参加した国外のパーティーです。
 
 
この作品は、「これはAssemblyでリリースするんだ!」という意気込みで作ったのですか?
 
もちろんです、苦労しました。技術的に難しいデモでした。シェーダーが使われる前のことなので、グラフィックスが複雑になると難しくなるんです。それに作り始めるのが遅かったんです。今でも「2003531日に作業開始」と書いたメモが残っています。そこから始めて81日までに完成させる必要があったんですが、その頃の生活は今と違って気楽だったので自由になる時間も多かったんです。飛行機に乗り遅れて、別の飛行機でアムステルダムまで行ったことを覚えています。町で一晩過ごして、床の上で寝たり冒険でしたね。コンピュータがずらりと並んだ光景と、伝説と呼ばれる人たちを見た時は驚きました。
 
 

(このデモに出てくる声は、Navisさんの奥様だそう* すてき!)
 

若かりしワイルドな日々ですね(笑) 
Assemblyで作品を出せて嬉しかったですか?
 
すごく嬉しかったですよ。でも優勝したかったんです。だから、「もう一度来よう」と思いながら家に帰りました。当時はすごいグループが多くて、Assemblyで優勝するっていうのはとても難しかったんです。今は分からないけど、当時はそうでした。運で決まるところもありますからね。例えば、同時に『debris』みたいなデモだったりFairlightが大型のデモを出してきたら、優勝はすごく難しくなります。
 
 
それで、2年後の2005年に『Iconoclast』で悲願の優勝を果たすわけですね。これを会場で見ていた人は驚いたでしょうね!
 
2005年になると、僕たちの名前はもうだいぶ知られていたんです。前年の2004年にもAssemblyで公開しているし、もう少し規模の小さいパーティーや、BreakpointThe Gathering、ギリシャのパーティーにも作品を出していましたから、そこまで驚かれることはなかったんじゃないでしょうか。
 
これを制作していた2004年は、働いてはいましたけど大学に戻っていたので自由な時間がありました。それと当時、恋人がカナダに留学してしまったので、人付き合いの時間が減って自分の趣味に使える時間が急に増えたんです。静かに過ごす冬の日が多かった年ですね。
 
 
そこで溜めたエネルギーをすべて『Planet Risk』や『Iconoclast』につぎ込んだのですか?
 
両方の作品につぎ込みました。Planet Risk [videoはそれほどではありませんでしたけど、Iconoclastは大作なので大変でした。暑い夏の日に大学の寮で8分に到達するように作業していたことを覚えています。要するに、自分の持てる力のすべてを注ぎ込んだんです。途中でやめてしまうこともできたけど、完成させたことに悔いはありません。優勝できて良かったです。
 
 
このデモは、泣く子もぴたっと黙らせるような強い作品ですよね。そういう背景があったのですか
 

>

 
Iconoclastは個人的に重要なデモなんです。この作品は、デモのエフェクトを見て育った自分の「古い世界」に別れを告げるという意味があるんです。このデモを出したことで、「よし、この作品を作って優勝できた。次は少し控えめのエフェクトで、もっと奥深さのあるデモを作ろう」と自分に言えるようになったんです。だから、このデモを境に、小さめの作品やノイズデモのような作品の時代に切り替わりました。
 
でも、2007年には『Lifeforce』という超大作をリリースされていますね。
 
 

 
前にも何度か話したことがあるんですけど、僕の人生でいちばんハチャメチャだったのが2007年ですね。その年の4月に、博士号を取って、仕事を辞めて、新しい仕事を見つけて、新しい家を借りて引っ越して、結婚して、父親になりました。これだけのことが同じ月に起きていながら、その中でもこのデモを作っていました。結婚式の当日も、朝起きてLifeforceのプログラミングをやっていたんです(笑)
 
 
信じられない!まさにLifeforce(生命の躍動)を象徴した作品ですね!(笑)
 
この時は毎朝4時に目覚ましをセットして、9時に出社するまでLifeforceのプログラミングをやっていました。仕事が終わると家に帰って赤ちゃんの面倒をみて、それからまたプログラミングです。そういう状態が34ヵ月続きました。Lifeforceはパーツも多かったし、細かい部分も多くて作るのが難しかったんですよね。
 
Photo provided by Navis
 
この時に受賞した優勝カップは、今は僕の後ろにある本棚の上に飾ってあって、カップの横の赤ちゃんは隣の部屋で寝ています。
 
 
私にはトロフィーが2つ並んでいるように見えますね(笑) きっと、ご自宅には数え切れないほどトロフィーがあるのでしょうね…。
 
Assemblyでは合計4回トロフィーをもらっています。最初のトロフィーはaMUSiCのアテネの家にあって、それは金色でしたね。残りの3つは銀色で、僕の家にあります。The Gatheringとか、他のパーティーでもらったカップだったり、メダルやScene.orgのアワードもありますけど、この2007年にもらったカップがいちばん大きいんですよね。かなり重くて持って帰る時が大変でした。飛行機に乗る時、みんなに「何の大会でもらったんだ」と聞かれて。「ギークの大会で優勝した」とは言いたくなかったので(笑)
 
 
ふふふふ(笑) それにしても、どうしてそんなに苦労してまで作ったのですか?新婚生活や赤ちゃんの世話を楽しんで、少し落ち着いてから作ってもよかった気がしますけど
 
たぶん、あれほど強迫的に取り組む必要はなかったのかもしれないけど、自分で良いと思ったものを作り始めていたし、音楽も本当に気に入っていたのでベストを尽くしてみるしかなかったんです。1回しかチャンスがない時ってありますよね。でも、ああいう作り方はもう二度とやろうとは思いません。
 
 
それはなぜですか?
 
もう一度やって経験したことですし、自分を限界まで追い詰める必要はありませんから。僕は執着心だったり、人生で1つのことだけに集中するという考え方は好きじゃないんです。「すごいデモが作れるんです」と言ったって、「そうか、でも他のことはどうなんだ」って思う。これは自分の趣味の話であって、広い視野で物事を見たらこんなの何にもならない。でも、まぁ、やってる間は楽しいですからね、、。だから、たとえそうできる環境にあったとしても、4ヵ月間も取り憑かれたようにデモを作ることはもうしないです。
 
 
でも、それはあなたがIconoclastLifeforceで全力を注ぎ込んで優勝したからこそ言える言葉だと思います。
 
それも正しいと思います。自分なりの頂点に達することができたから満足していますよ。他の人たちにとってはバカみたいな頂点かもしれないですけどね。
 
今は1年に12回デモを作れれば満足ですね。ただ、僕の場合、仕事でやってる分野とかぶることもあって、完全にデモシーンから出るということはできないです。
 
 
それを聞けて良かったです(笑) では、デモを制作する時に毎回気をつけていることはありますか?
 
できる限り自分の殻を破ること。しっかり自分の手でコードを触って楽しむこと。そして、ツールを使わずに「手づくりのデモ」を作ることですね。僕はデモツールが嫌いなので。
 
 
「しっかり自分の手でコードを触る」というのは、具体的にはどういうことですか?
 
これは、自分が目指すものに妥協することなく到達するために、「労力を割いてたくさんのキーを叩き、気が変わったり、もがき苦しみながら一から作り上げる」といった意味です。とにかく、過剰なぐらいタイピングを重ねることです。
 
 
デモツールは嫌いとのことですが、どんなプログラムを使ってデモを作っているのでしょう?
 
プログラミングにはVisual Studioを使っています。僕のデモの99%Visual Studioで作ったものです。デモツールが好きじゃないのは、デモツールを使うという考えに反対しているからではないですよ。ただ僕には合わないだけで、他の人はそう思わないかもしれないし。
 
 
デモツールを使わないメリットとデメリットは何ですか?そのほうが楽しいとか、効率的といった理由があるのでしょうか?
 
僕にとってはその両方ですね。ハードコードしたデモは、「ハードコードした」というのが、細かい部分やシーンの移行場面、オプティマイゼーションに表れていると思いますね。ハードコーディングのほうが難しいかどうかということは僕には分かりませんけど、単にデモツールに興味がないんです。ハードコーディングのデメリットは、プログラマじゃなければデモが書けないということですね。アーティストはハードコードのデモは書けません。
 
 
ハードコーディングの意味を私がきちんと理解しているか微妙なところなんですけど、デモツールを使わないということは、コードをキーボードで打ち込む前に、頭のなかでシーンができあがっていないといけないってことですよね。じゃあ極端な話、ノートとペンだけがある部屋に閉じ込められたとしても、デモを完成させることができるということですか?
 
いや、さすがにノートでデモは作れませんよ。確かにコードは僕の頭の中にありますけど、だいたい間違ってますから(笑) でも、基本的な考え方は合っています。カメラは簡単ですが、いちばん難しいのはアイデアですね。アイデアをコードに移す作業自体は、なんとか方法を考えればできるので難しくないんです。でもアイデアは、、これは難しい。いつも新しいアイデアに取り組みたいですからね。ちなみに、ここでの「アイデア」っていうのは、デモの雰囲気や表現するもの、エフェクトのことです。
 
 
映画のエフェクトや自然の動きを見ていて、「これはどうやってコードで再現しようか」と、無意識に考えていることはありますか?
 
たぶんあると思いますね。でも気がつかないから、おそらくすごく無意識にやってるんでしょうね(笑) でも、ありますよ。
 
 
私は翻訳の仕事をしているのですが、翻訳者は映画を見ると「この台詞をどう訳そうか」とつい考えてしまうという人が多いようです。そんな感じで、これはプログラマの職業病みたいなものですか?
 
たぶんそうだと思います。誰でもやってると思うし、デモシーンの人ならよくあることじゃないですかね。
 
 
なるほど。では、続けてプログラミングに関する質問をさせてください。プログラミングをする上で最も難しいことは何ですか?
 
自分の書いたコードをサブバージョン(注:管理システム)に入れることですかね。パスワードを覚えていられた試しがないので(笑)
 
 
えっ、本気でそう言ってますか?

いや、難しいことなんてないですよ。デモを作るためのコーディングっていうのは、そこまで難しいことではないんです。アルゴリズムコードになると、かなり難しくなりますけどね。でも、だいたい僕はデモのほとんどをシェーダーで書くので、かなり気楽な気分でやっています。これで失敗するということはないですから。デモのコーディングっていうのは、一般的に何をしたいのかが分かっていて、目標が現実的なものなら問題はないです。
 
 
では、逆にいちばん楽しいことは何ですか?
 
自分のコードをサブバージョンに入れる時ですね。それはつまり、パスワードが思い出せたってことですから。
 
 
はいはい(笑)
 
はい、冗談です。僕はコーディングはどうでもいいと思っていて、興味がないんです。コーディングは目的を達成するための手段でしかありません。「コーディングでいちばん楽しいことは何か」っていうのは、「枕カバーを変えることでいちばん楽しいことは何か」っていうのと同じようなものです。つまり、どうでもいい。肝心なのは、枕カバーを変えればよく眠れるようになるってことです。その結果が出れば嬉しいです。それで、デモにおける結果っていうのは色や動きであってコードじゃない。だから僕はコード自体には興味がないんです。コードは見苦しいものだし、読めたものじゃないですから。
 
 
ありがとうございます。枕カバーのたとえのおかげで、よく理解できました。では、あなたにとって「良いコード」とはどんなものですか?
 
機能的なものだと思います。でも他の人と一緒にやるなら、協力して作業できるように読みやすくする必要があります。ただ、僕はデモの作品を作る時に、他の人とコードを共有することはないので大丈夫なんですけどね。というか、僕の場合、自分で何を書いてるのか忘れてしまうので、手早く書かないとダメなんです。とても複雑で見苦しいものだけど、機能的にはとても優れていると思います。

 
見苦しい?でも、あなたの書くコードを見て感心されている方は多いみたいですよ?
 
 
笑っているんですよ。でも、僕も他の人が書いたコードに対して同じことをしてますから別にいいです。タイトルをつけるとすれば、「グロテスコ」という作品ですね。

 
ははは(笑)、でも、あなたの作品やコードを見て、あなたを「天才」と呼ぶ方もよく見かけます。ご自身でもそう思いますか?
 
違います、僕は天才じゃないし、なりたくもない。自分がつまらない人間であることを知っています。
 
 
では、何と呼ばれたいですか?
 
今は、良き父親であり良き夫でありたいですね。デモシーンで優れた存在になるというのも、僕の人生の優先順位では比較的まだ高いところにありますけど、たとえ今やめてしまっても、たぶん満足です。(やめるつもりはありませんけどね)
 
 
じゃあ、「デキるコーダー」でいいですか?
 
ははは、僕はデキるコーダーじゃないですよ!言いませんでしたっけ?
 
 
いえ、言ってませんよ。
 
まあ、いくつかのことに関してはそれなりにできるのかなと思いますけど、まだまだ勉強しないといけないことばかりですね。プログラミングの仕事に雇ってもらえるかもしれないけど、それはコーディングのスキルだけじゃなくて、仕事への忠実さとか他のスキルを含めてのことです。でもさっきも言ったように、コードは道具であり目的を達成するための手段ですから、お金があれば、そういうのはみんな買えるんですよ。それに、これもさっき言ったけど、特にアートの分野で「他を凌ぐ」という考えはイヤですね。
 
 
わかりました。では、これからプログラミングを学んでみたいという人がいたら、何からスタートすることを薦めますか?
 
Processingですね。そういえば、僕の8歳になる娘が学校でプログラミングを勉強しているんですよ!MITの作ったScratchっていうプログラムを使っているんですが、似たようなプログラムは他にもあるんでしょうね。学校でそういうのを教えるっていうのは、すごくいいことだなと思っています。
 
 
この前、似たようなものを私も試しましたよ。コードを書く必要がなくて面白かったです。娘さんと一緒に試されましたか?
 
いや、まだです。明日にでも一緒にやってみようかな。まあでも、大人にはProcessingを薦めますね。僕は毎年アテネにある学校でこういう話をしているんです。デモシーンと、そこで何をしているのかっていう話題ですね。話を聞いているのは16歳ぐらいの学生なので、いつかそこから新しいデモシーナーが生まれるといいなと思っています。みんな国外に出てしまって、残念ながら今ギリシャのシーンはほとんど活動がないんです。
 
 
そうですか。では、娘さんがプログラマになりたいと言ったら、何て言いますか?
 
「グッドチョイスだね」って言います。プログラミングの世界は男女の比率にかなり差があるので、もっと女性のコーダーが必要だと思いますね。社会学的な理由もあるのかもしれないけど、僕も女性のプログラマと仕事をしているので、うちの子がやり手のプログラマになってもいいと思うんですよね。でも今のところ、彼女は僕じゃなくて母親の遺伝子を引き継いだみたいで、言語のほうに興味があるみたいです。
 
 
お家に良い先生がいていいですね。何だか娘さんが羨ましいです(笑)
では、デモシーンの話題に戻って、定番の質問をさせてください。好きなデモ、心に残るデモ、影響を受けたデモ、、または人生を変えたデモ あなたにとって特別なデモを教えてください。
 
 
リリースされた順番で言うと、まずはFuture Crewの『Second Reality』 [video]です。僕にとっては、これがすべての始まりみたいなものです。まあ、これがリリースされた時にはすでにデモシーンを知って12年が経過してたわけですけど、このデモを見たことで、何としても、もっともっとデモシーンのことを知りたいと思うようになったんです。
 
そして次は、1996年のAssemblyでリリースされたdubiusの『machines of madness』 [video]です。これは本当に素晴らしい作品で、僕の持つ技術よりもはるかに高度な作品だったので、それから4年間は制作をあきらめた感じですね。見た時に、「あぁ、もうバカバカしい」と思いました。
 
2000年代の作品で言うと、Assembly2003でリリースされたANDの『Zoom 3』 [video]、それからFairlightのデモ。特に『Agenda Circling Forth』 [video]が好きですね。それともちろん、Farbrauschの『debris』 [videoです。
 
Debrisは、Breakpoint2007で、突然リリースされたんです。あれは本当にショックでした。Debrisが公開された日に僕の娘が生まれたんですよね。ちょうどAssembly用のデモを作っていた時で、コンポの競争がすごく激しかった時期なので、あのデモは僕にとってすごく重要な意味を持っています。今はあの時ほど競争心は強くないですけど、年のせいですかね。本当にたくさんの素晴らしいデモの作り手と一緒にいられることが、すごく嬉しいです。
 
 
ご自身の作ったデモの中で特別な思い入れがあるものは何ですか?
 
ASDのデモだと、『Metamorphosis』と『Rupture』が好きですね。MetamorphosisASDのデモの中でもいちばん完成された作品だと思っています。あれを超えるのはとても難しいです。Ruptureも良くできているけど、それはもっと技術的な面でってことです。
 
 

 
私はてっきりIconoclastLifeforceが特別な作品なのかと思っていました! こんな風に作り手と観客の間にはギャップができるものなんですね。先ほどあなたが完璧だと言ったデモと、一般的に人気が高いデモには差があるように思います。
 
IconoclastLifeforceも、僕の中のベスト5には入らないです。人気が出た理由は分かりますが、僕にとっては違います。少なくとも今は違うと言えます。というか、実際には作っていた当時もそこまで特別なものじゃなかったですね。Metamorphosisみたいなデモの素材を見つけるのには、本当に何年もかかるんです。でもIconoclastみたいなデモなら、今ならあれよりずっと良いものができると思います。だけど、そんなことをやる意味なんてないでしょう?他の人だってできるんだし、もう自分で1度か2度作った経験があるんだし。あれは、エンディングにたどり着くために、エフェクトやら詰め物やらをしなきゃならないんです。それがこの手のデモに対する僕の正直な感想です。それに、個人的なリソースをものすごく消費するんです。モデリングだったり、画像や音楽とのシンクだったり、あぁ、、こうなるとデモ作りが悪夢になります…。ああいう「ハイパーメガデモ」の類はもう二度とやりたくないですね。Lifeforceを出した後にそう思ったんですけど、『Happiness is Around the Bend』 [video]は例外として、あとの作品ではその考えを貫いていますね。
 
 
観客の反応や好みを予想できますか?
 
 
結構いいところまで予想できるんじゃないかと思いますね。でも僕はPouet(デモシーンのポータルサイト)が生まれた時から見ているし、そこで公開されるデモもコメントも読むし、デモパーティーに行っていろんな人と話したりしているので、それほど難しくはないと思います。普通に観察すれば、わりと簡単に分かりますよ。
 
ASDの「ハイパーメガデモ」が好きな人も多いようですが、そういう反応よりも自分のルールを大事にしていますか?
 
僕たちがデモを作る時は、「自分たちにとって負担が大きすぎず、でもクリエイティブな、見ている人に楽しんでもらえる新しいデモを作ろう」っていう感じですかね。自分が楽しめなければ作る意味はないんですよ。まず制作プロセスを楽しまなきゃいけない。それに、見ている人に何が出てくるのかを予想させてはいけないんです。これは守っていますね。ASDではミニマルでアートっぽいデモやリアルな感じのデモ、伝統的なメガデモまで幅広く作っているので、いろんなタイプの人が楽しめるんじゃないかな。
 
 
でも、自分のルールには忠実であっても、他の人からのコメントは楽しんでいるのですよね?
 
もちろんです。コメントもそうだし、他の人たちの作品を見るのも好きです。それに、他の人たちの持つ才能を高く評価しています。すべてのグループが同じ能力を持っていないことは理解していますけど、この世界は移ろいやすいものですからね。ある時世界の頂点に立てたとしても、翌日には病院のベッドで動けない状態になってるかもしれない。だから、冷静な頭と心を持っていないといけないんです。どんなに力があったとしても、盛者必衰ってやつです。
 
 
春の夜の夢のごとし、ですね…。たしかに、ASDにはいろんなタイプのデモがありますよね。でも、私の場合、ASDのデモからは「静かなる激情」とでも言うんでしょうか、、根底にすごい怒りを感じることが多いです。どうしてかは分かりませんけど
 
デモにはストーリーがあるべきだと思っているので、僕の作るデモには物語性があるものが多いですね。それと確かに、このストーリーは「ポジティブなもの」と「ネガティブなもの」の戦いに関するものがほとんどです。でも、大局的に物事を見たなら(つまり、人間の住むこの世界の外から見たなら)、善と悪なんてものはないと僕は思うんですけどね。そういうのがよく表れているいちばん良い例は、2013年に出した『Violent Nature』(ビデオ)じゃないかな。
 
このデモで表現しているのは、太陽がブラックホールに飲み込まれたりといった「自然の中にある暴力性」です。ただし、暴力的ではあっても、これは僕たちを生み出した宇宙が宇宙であるための唯一の方法ですからね。(まぁ、とても人間中心の考え方ではありますけど、ここでの僕らはデモを見てるだけだから関係ない。) だから、背後にはいつも暴力と怒りがあるんです。そして、人はいつだって物事や心配事から逃げている。純粋な愛がテーマのものはすごく少なくて、あったとしても(RuptureMidnight Runとか)、それは危機に直面しているからです
 
 
たしかに、ASDの作品には逃げるシーンがよく出てきますね…。彼らは何から逃げようとしているのですか?
 
最悪の事態みたいなことや、あとは自分の中に棲む悪魔かな。形而上学や宗教的なバックグラウンドにもよるのかもしれないですけどね。僕は「神の探求」みたいなテーマを扱ってる映画が大好きなんです。ほんの少ししかそのテーマに触れていないとしても、すごく好きなんですよね。
 
 
神の探求、、それって、あなたが作品の中で追求するテーマのようなものですか?
そうですね、というか、「なぜ?」という思いなんですよ。「なぜこんなことが人間や動植物に起きているのか」 そして、「どうしたら何かから逃れることができるのか」ということです。ここでの定義には、自分が知っていることだけが含まれますけど、「こんな宇宙もこんな人生もいらない」と言ってみたってムダで、残念ながらここから逃げ出すことはできない。この定義では不可能なんです。死んでもまだ閉じ込められたままになる。これが僕の作る多くのデモに存在する世界ですね。『Beyond the walls of Eryx』 [videoも、『Midnight Run』も、Metamorphosisもそうです。実際、そういった探求の要素や苦々しさみたいのは、僕のほとんどのデモに入っていますね。

 

 

 
 
ありがとうございます。ASDのデモは、まさにアート作品と呼ぶのがふさわしいんじゃないかと私は思いますね。アート作品と言えば、、、あの、少し前にASDの作品に別の有名な方の音楽がついたビデオをインターネットで見かけたんですが、あれについてお伺いしてもいいですか?
 
Giorgioは僕が本当に尊敬してやまないアーティストだし、彼や僕たちを助けてくれた良い人たちの今後の活躍を願っているとしかコメントすることはないですね。
 
 
私が仕入れた情報によれば、ASDの皆さんも、一般の方と同じようにインターネットに上がっているのを見て知ったとか。初めて見た時、どう思いましたか?
 
褒められた気分でしたね。それから、誰が使用許可を出したのだろうと思いました。何かの間違いなんじゃないかなって。それでクレジットを読んだときは、、怒り?ですかね。

 
ぜんぜん怒ってないように聞こえるんですけど(笑) 私はこれを見た時、あまりにも頭にきて丸一日何もできませんでした。これは『Spin』 [video]という作品で、あの音楽と一緒だからこそ完成された世界があるのに、「ひどい!何てことしてくれてんだ!」と思いました。ああいうことが、今後は絶対にないようにしてほしいです!
 
そうですね。でも、この問題は解決したから、もうこれ以上この件に関して言うことはないです。
 
 
分かりました、答えにくいことを聞いてすみません…。でも解決したと聞いてよかったです。でも、もしASDのことを知らなくてあのビデオを見ていたら、私はASDの名前を検索していたかもしれません(笑) ちなみに、きちんとした形で「新しいものを作ってほしい」と依頼を受けたら作りますか?
 
僕は第三者のためにデモは作らないと思います。aMUSiCが一緒じゃなければ、なおさらやらない。
 
 
答えにくいことに答えてくださってありがとうございます。では、デモシーンの話題に戻ります。先ほど、娘さんが生まれた時のことをお話されていましたが、今はその時ほど競争心が強くないとおっしゃっていました。もうかなり長い間デモシーンにいらっしゃいますが、あなたのデモシーンとの関わり方は変わってきていますか?
 
多少は変わってきていると思います。でも、娘が生まれたことが理由だとは思いませんけどね。たぶん、年齢を重ねたことと、刹那的なものにそれほど興味がなくなったからだと思います。
 
 
「刹那的なもの」とは、どんなものですか?
 
トロフィーをもらうとか、パーティーとかですね。
 
 
でも、その「刹那的なもの」というのも、あなたがトップを経験しているからこそ使える表現のように私には思えます。そうじゃないと、なんか悔し紛れに聞こえなくもない(笑) では逆に、この20年以上にわたるデモシーン生活の中で、「変わらないもの」はありますか?
 
変わらないことといえば、友だちと何もないところから何かを生み出して、デモパーティーや広い世界に向けて公開する時の興奮ですかね。
 
 
先ほど、コードを書くことは目的を達成するための手段だと話されていましたが、これはあなたの自己表現の手段ですか?
 
はい、たぶん自分を表現するいちばん簡単な方法なんだと思います。
 
 
デモの制作作業は春から始めるとのことでしたが、今がまさにそのシーズンですね。何か作っていますか?
 
Assembly用のデモを作っています。今年は参加しようと思ってるんです。
 
 
Assemblyでリリースするんですね!去年、私も初めてAssemblyに行ったのですが、すごく感激しました。
 
Assemblyは良いですよね。今年行ければ、僕は7回目になります。僕がまだ10代の1993年から、このデモパーティーに行くことが夢だったんです。だから、少年時代の夢を叶えたことになりますね。僕にとっては、映画『ザナドゥ』で言うところの、「夢の場所」みたいなものです。デモパーティーは他にもありますし、Assemblyよりも規模の大きなもの(The Partyなど)もありますけど、AssemblyFuture Crew4Kのデモが最初に出てきた場所でもあります。それに、フィンランドという場所は、ギリシャに住んでいる人間にとっては、とてもエキゾチックな場所でしたからね。Assemblyは他のパーティーとは違うんです。
 
 
やはり今でもAssemblyは特別な場所ですか?

すごく特別です。コンポ以外にもいろいろあるので、いつもすごく楽しいですよ。バーベキューをしたり、いろんな人と話したり、たくさん思い出があります。それに今ではいろんな人と知り合いだし、僕のことを知っている人も多いので、イベントの期間中はいつも忙しいですね。北欧の夏は日が長いし、仕事も休みだし、床で寝たりして楽しいですよ。二十歳の頃に戻ったような感じですね。
 
 
いいですね。去年行った時は、たくさんの若い子たちがゲームをしている光景が広がっていたので驚いたんですが、今でもデモコンポの要素を大事にしているのが分かって嬉しかったです。
 
若い子たちはいつも来てますよ。あの子たちが来てくれるおかげで、運営費が足りてるんだから。
 
 
ははは、それは大事にしないといけませんねぇ、、(笑)
 
作品を作って持ってくる人がいる限りは、ゲームのイベントにはしないと思いますよ。
 
 
それを聞いて安心しました。制作は順調ですか?
 
Assembly用に作っているデモは、たぶん皆さんに気に入ってもらえると思いますよ。写真のようなリアルな見た目のデモではなくて、夢のような感じです。これからエンディングの部分を作るんですけど、ここが最高のパーツになればいいなと思っています。
 
 
すごく楽しみです!では、最後にデモシーナー、デモファンの方にメッセージをお願いします。
 
本当に皆さんはいい人たちばかりです。そして、僕もそのデモシーナーの一員でいられることを嬉しく思っています。
 
 
——————————————————————–
 

お仕事にデモの制作に非常にお忙しい時期だったにも関わらず、たくさんの質問に回答していただきました。
Navisさん、ありがとうございます。(貴重なデモ作りの時間のお邪魔になってないといいのですが
 
ASDの作品は、グループのウェブサイトからチェックできます。また、2010年には『Happiness is around the bend』のメイキングブログも公開していますので、「悪夢」と呼ばれる部分をじっくり読みたい方は要チェックです(笑) デモのインスピレーションを紹介したインタビューはこちら、そしてデモ作りのアプローチについて語っている動画はこちらにあります。それと、、Navisさんご自身が「グロテスコ」と名づけたコードはこちら(笑)
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

———————————————————————-
 


そもそも
デモってなに?パソコンの話?と思った方は、まずはこちらのMoleman2のドキュメンタリーをチェック。(この映画の監督、シラードさんのインタビューはこちらでどうぞ。)

  #1: 日本のデモシーナー、qさん(nonoilgorakubuのコーダー)にインタビューは、こちら

  #2: デモシーナー、Gargajさん(ConspiracyÜmlaüt Design)にインタビューは、こちら

  #3: デモシーナー、Preacherさん(BrainstormTraction)にインタビューは、こちら

  #4: デモシーナー、Zavieさん(Ctrl-Alt-Test)にインタビューは、こちら

  #5: デモシーナー、Smashさん(Fairlight)にインタビューは、こちら

  #6: デモシーナー、Gloomさん(ExcessDead Roman)にインタビューは、こちら

  #7: 日本のデモシーナー、kiokuさん(System K)にインタビューは、こちら

  #8: デモシーナー、kbさん(Farbrausch)にインタビューは、こちら

  #9: デモシーナー、iqさん(RGBA)にインタビューは、こちら

#10: デモシーナー、Navisさん(Andromeda Software Development)にインタビューは、こちら

#11: デモシーナー、Pixturさん(Still, LKCC)にインタビューは、こちら

#12: デモシーナー、Crypticさん(Approximate)にインタビューは、こちら

#13: 日本のデモシーナー、0x4015(よっしんさん)にインタビューは、こちら

#14: デモシーナー、FlopineCookie Collective)にインタビューは、こちら

#15:デモシーナー、nobyさん(Epoch、Prismbeings)にインタビューはこちら

 

私がデモシーンに興味を持った理由、インタビューを始めた理由は、こちらの記事にまとめてあります。また、デモやデモシーンに関連する投稿はこちらからどうぞ。

 

Add a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *